有段(黒帯)取得の意義、昇格の価値観について、柔道から拳法の武道歴を振り返り考えてみた ⁉ 高校生で精神の弱さに気づいて、柔道習い2年半、勝ち抜き方式で「講道館二段位」を頂いた18才、心中は自信につながったのか まだまだ不安だった、20才で少林寺拳法という武道を入門して、その技術と内容にハマるものがあり、人生の先生と出会う 変わるものである。
まさか自分が指導者という道院長になるとは、思ってもみなかった。振り返る。
少林寺拳法三段位を取得した時点で、技を教えてみたくて、自然に体が動いた、もしも柔道でその喜びを持って、指導者になっていたかどうか?正直にその自信はない。
少林寺拳法は、当時とにかく面白い「いとも簡単に相手を固め、投げ飛ばす、日常生活の面でも自信につながり、夢中で七段位まで昇り詰め~今年で20年目」しかし、技術と強さの精神面では、決して正比例はしていない。武道歴でいえば46年目になった。
振り返り、改めて考えてみて、武道を習う事から指導者達す迄、どういう”喜び感動”があるのかと、生涯学習として考える時に・・・
高段者になれば成るほど、戦いに勝つことが最終目的ではなく、心頭は「 もし我に、何か嫌がらせ危害があったとして 多少のことで屈辱感がない、しない 心のゆとりのある生活、懐の広さ、狼狽せず、笑い飛ばす、平常心の強さと、ゆく末は、人としての情緒を安定させて人格を淘汰する 」護身練胆とは、相手から危害を受けて、初めて反撃の正当防衛に達することが必須、人格淘汰とは、家庭を持ち、子を教育する、弟子を多く輩出する、強いては理想郷社会を造ることが、人としての徳を積む ことではないか?
戦いに負けて、負けた時にこそ、生きるバネ!、糧にすることである、こだわりやプライドは必要ない? 弱者と他人や民を真っ先に考える”心の余裕! 他人をファーストに考えて生きる力 私が思うのは日本の誇りである「稲盛和夫さん、渋沢栄一さん」も会社創業者や福祉事業を行った日本歴代の著名人も、どこか武道精神を忘れてはならない、学ぶこと多しと言っている、我輩も思うのである。 この年取って66才である。「平和な理想郷社会を造る、一人となれば幸いです。💛」